「なければならない」を放棄する子どもには手作りのご飯を作る母でなければならない。家族で一番早起きをしなければならない。 ご飯は三品以上おかずを作らなければならない。 3歳までの子育ては母親がしなければならない。 家事は、母がやらなければならない。 上げればキリがない、私が苦しめられた 「なければならない。」 です。 犯罪と約束以外の「なければならない」は、放棄していいものです。 ちなみに、貧乏だから働かなければならない これは、借りたお金を返さなければならないからきた「約束のなければならない」であれば 働かなければなりませんが 借金などの約束(契約)が原因ではない場合 貧乏を受け入れるのであれば働かなくてもよい「なければならない」です。 借金も自己破産という方法で払わないという方法も無いわけではないですが 自分が原因の自己破産は、残念ながらどこかで何かで返済を迫られるので 潔く借金を払っておく方が楽だろうなとは個人的には思っています。 「なければならない」は世間の常識(正しい)である場合が多いですが 常識(正しい)は、自分を追い込んでいく原因でしかありません。 貧乏ですでに苦しく、ストレスいっぱいの中で 更に自分を追い込む事はありません。 貧乏だから、 仕事をする事を選択すると どうしても家事は手を抜く事になりますが ここに「なければならない」を持ち出すと 途端に生活が破綻します。 仕事をしなければならないという負い目から せめて家事は頑張らなければならないと自分を追い込んでしまうからです。 特に子どもの事に関しては、 その傾向が強くなりがちです。 子どもを働く事の負い目に感じる事は、子どもに失礼です。 なにより「なければならない」は 勝手な自分の「理想」です。 他の人は、やっているから。 他の人が出来て、自分が出来ない事は、負い目ではありません。 出来ないなら、出来ないでもいい。 出来ない事を自分が認めないと 出来る事に目が向きません。 何も出来ない そうやって、認めてから では、何が出来るのか? どうやったら、出来るのか? その視点を持つ方がずっと「楽」です。 「理想」は「理想」です。 「理想」の為の「なければならない」ほど、無駄です。 そして、その「なければならない」ほど、盲目的です。 周囲の意見には、無頓着です。 「理想」なのだから、その方がいいだろう という勝手な思い込みです。 何が良いのかは、人それぞれ違うという大事な事を 見落としてしまいがちです。 何より自分が考える「理想」とは 自分レベルの「理想」でしかありません。 自分の考えつかないもっと良い「理想」が他にあるのに 自分の「理想」を決めてしまうと もったいない。 もっと欲張っていいのです。 欲張っていいのに 「なければならない」 と自制してしまっているのです。 自ら苦しい方を選択してしまっているのです。 「なければならない」より「なるようになる」 私は、そういう意見に行き着きました。 (2021.06.02) ジャンル別一覧
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